社長列伝① 幼少期~専門学生期

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社長列伝① 幼少期~専門学生期

自分のことをお話しいたします。
私の説明書ではないのですが、これまでどのような人生を歩んできたか、簡単にお話しいたします。


まず、幼少期についてはです。
小学校時代については、殆ど覚えておりません。
おそらく、変わった性格だったのではないかと思います。明るいのか陽気なのか、定かではありませんが、サッカーが大好きでした。
小学校時代は、スポーツをする機会があまりなかったのですが、「キャプテン翼」という作品に影響を受け、サッカーを始めました。
小学校5年生後半から6年生にかけて、およそ1年間ほど続けました。本当に面白かった思い出があります。

それで、中学校に上がったときに僕はサッカーを続けたかったんですけど、なんとサッカーのスカウトが来てくれたんですよ。
当時は今で言うユースみたいなところがあったんですけど、一緒にサッカーやってくれと誘われました。
足が速かったんで、ウイングっていう今のフォワードみたいなポジションなんですけど、そこでやってくれないかってお話があったんですが、親に相談したところ、

“あんた頭が悪いから勉強しなさい”
って言われました。

つまり、NGだったんですよ。ダメって言われたんですね。
ダメって言われたので、渋々諦めたということがありました。
凄くかわいそうに感じますよね。

でも、それはそれで親の言うことを聞いてたいい子だったんですね。

ところが、中学校時代、いろいろやりたくてやろうと思ってたんですが、飽き性だったんですね。

ろくなことをしてなかったっていうのもあるんですけど、飽き性で何をやっても長続きしないで勉強もしないで、そのうち学校もあまり行かないみたいなことをずっと過ごしていました。

で、そのうち車とかバイクとかに興味を持ち始めるっていうまあよくあるお話ですよね。で、高校時代に入学しました。
実は行く気がなかったんです。学校行っても面白くないだろう。これ何でかって若干いじめに遭ってたからっていうのもあったんですけど、まぁ面白くないから行きたくないなと思ったら、これまた親に言われちゃいました。怒られてしまいました。

「あんたはアホなんだから、高校ぐらい卒業しておきなさい」

と言われてまあそりゃそうだよねということで高校に行ってたんですが、あまり学校にも行かず、行くのは体育の授業ぐらいみたいな。
そういう何も考えない生活をしてたんですね。

これが反抗期の始まりみたいなものだったのでしょうね。きっと、非常に遅かったと思います。実際に苦労した部分は、実は原点がここにあったと言えるでしょう。
その中でも、大学に行ってみたいという思いがありました。しかしながら、もちろん学校に行かなければ勉強もできません。大学に進学することはできず、その時にたまたま、と言えるでしょうか。

私は、ご存知の方もいるかもしれませんが、ボーイスカウトというものに参加していて、そこでたまたま良い人に出会ったのです。
専門学校に特待生で入らないかと言われ、特待生として専門学校に行かせていただくことになりました。専門学校は2年制ですが、何日間通ったでしょうか。ほとんど通わなかったです。
本当にお金の無駄でした。何をやっていたかよく分かりませんが、情報処理専門学校に通っていました。

まあ、本当に役に立たないものでした。危なかったですね。
学校に行かず、情報処理の勉強もせず、ただ暇を持て余していた日々が続いていましたが、その中でも唯一、やはりコンピューター・パソコンに非常に興味がありました。
当時はまだWindowsなんて出てすぐの頃で、まだまだ使える人も少なく、パソコンも高価でなかなか手に入らなかったのですが、学校にはあったため、そこでやってみようと思い、タイピング練習を始めました。

今でいうタッチタイピングというものです。キーボードを見ないで打つことができる方法で、当時はワープロをやっていた人ぐらいしかできなかったため、私もやってみたいと思い、それをひたすら練習しました。1分間に平仮名で200文字以上を打てるようになり、うん、すごいね、ということをしていたのが専門学校時代でした。

次回に続きます。

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