社長列伝③ エンジニア?になる

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社長列伝③ エンジニア?になる

ひきこもりをしていましたが、やはり、働かなければならないと思っているうちに、色々な方々から声を掛けていただいた結果、今の「アセンダント」という会社にたどり着いたわけですが、 皆様が同じような辛い思いをされることがなければ、それが一番だと思います。

私は北海道出身で、その後、仙台の会社で働くことになりました。
当時の会社は愛知県の会社でしたが、その方から進学塾をやるから塾長をやってくれと声を掛けられ、 気軽に仙台に移住してしまったのです。
その進学塾は最初は苦労しましたが、やがて軌道に乗り、私は塾長としてやらせていただきました。

その後、転職することになり仙台で働きました。
その会社では、私が一人で東北6県の全ての無人契約機(ATM)を回る仕事をしていました。
野外での単独店舗で、年に一回の定期メンテナンスを行う仕事で、 1日に2,000キロ以上走ることもあり、仙台から恐山の麓まで行かされることもありました。
出発は日曜日の夜で、帰りは土曜日の昼頃でした。

それまで帰ってこられないようなお仕事でしたが、そんなことをやっていたときに、色々あって、当時働いていた会社の社長さんから「浅沼さん、SEをやってみませんか」と言われたのです。

拒否していたのですが、何度も何度も言われるうちに、どうしてもやらざるを得ない状況になってしまい、結局エンジニアになることになりました。
とりあえず1週間ほど埼玉で仕事してこいと言われたので、カスタムエンジニアとして出張しました。 しかし、そこで運の尽きたように、1週間たっても帰れず、2週間たっても帰れず、3カ月が経過しても帰れなくなり、諦めることにしました。
ちなみに、カスタマエンジニアとは、例えばお客様が購入したパソコンやサーバーが故障したときに、ハードウェアの修理や部品交換を行う仕事です。
通常、関係者以外は入れないような場所でも、修理のために入ることがあります。
例えば、NHKさんのデーターセンターアーカイブスという中で何100台もサーバーが置いてあるサーバールームで保守をやっていたりとか、和光の本田技術研究所 ASIMOて昔流行ったと思うんですけど、人型ロボットが歩行するものですね。
その研究をまさにやっているところに行ったりとか、経験できないようなところに入れたっていうのがすごく面白い仕事でした。
それまで全然興味がなかったパソコンに興味を持ってきたのもこの時期です。

その会社で、知人に「SEをやれよ」と言われ、もう逃げられませんでした。
よく分からないまま、東京でSEという仕事をはじめたのは30歳の頃でした。

全くパソコンの知識もなかった状態で、初めてコンピューターに関わることをやろうと思ったのです。

その中で、最初に行った現場の紹介で、
「淺沼っていうエンジニアです。こいつ何でも知ってます。
やります。できます。頑張れます。この3拍子揃ってるんでお願いします」
って言われたんですよ。

私は何も知らない状態でしたが、こんなことを言われたのです。それから、うーん、もう大変でした。

「やります、できます、頑張ります」と言って、入ってしまったのですが、中に入ると何も知らなかったのです。
それでも、「サーバーを作って」「テストして」「設計して」などと言われて、非常に苦労しました。しかし、私は「やります、できます、頑張ります」と言ってしまった以上、嘘はつけません。
そのことを嘘にしたくないと思ったのです。
ですから、毎日勉強するようにしていました。

次回に続きます。

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